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私、かずは人生の中で

たった一度だけ死を覚悟したことがあります。

 

 

それは

腸管出血性大腸菌による食中毒になったときです。

約2週間入院して、なんとか生きながらえることができましたが

あまりの辛さに

本当に死を覚悟したほどでした。

 

 

今回は体験談として

食中毒になったときの症状や過程などをまとめていきます。

まだ若かりし頃の記憶なので、少しあいまいな部分もありますが(^^;

 

Contents

 

Xデー

9月中旬。

職場の上司に誘われて焼き肉を食べに行きました。

そこで上司おススメの馬刺しユッケをご馳走に。

 

このとき、ユッケというものを初めて食べたのですが

おそらくコレが爆弾でした。

当時、ユッケの食中毒って流行っていましたからね。

 

1日目

微熱があり、風邪のような症状が出始めました。

このときは

「あー風邪ひいたかな~」って程度で

そこまで辛いという印象はありませんでした。

 

2日目

風邪の症状はあるものの

特に支障もなく仕事をしていました。

 

 

3日目

下痢が出始めます。

頭もぼーっとしていて、風邪が本格化してきたと感じました。

 

 

4日目

下痢が止まりません。

仕事中、トイレから出られなくなってきました。

しばらくすると吐き気を催すようになり

下痢が血便に変わりました。

 

さすがに異常を感じて、仕事は早退し病院へ行くことに。

近所にある胃腸科医院へ。

診断結果は「不明」

職場環境などのストレスが影響しているのかもと言われ

精神安定剤や痛み止めなどを処方される。

 

 

その夜

痛み止めを飲んだおかげか、少し楽になり

夕食を食べる。

今でもハッキリと覚えていますが

鮭のホイル焼き

めっちゃ美味かった。

 

 

4日目夜

容体が急変。

今までに経験したことのないような腹部の痛みがやってきて

再び血便が止まらなくなる。

あまりの激痛にトイレの中で意識を失う。

 

 

意識が戻ると朝になっていた。

激痛が再び襲う。

トイレから動けず意識が朦朧としているところを

親に発見され、再び近所の胃腸科医院へ。

 

 

 

夜中、トイレの中で意識を失っていた間

不思議な夢を見ました。

これが上手く表現できないのですが

不思議な世界の中に自分がいました。

 

その中の自分は何かの順番を待っているような感じでした。

結局、順番は回ってこずに意識は戻ったのですが…

本当に危なかったのかもしれません。

 

5日目

再び近所の胃腸科医院へ。

しかし、診断結果は不明…

病院内でも血便が止まらず

トイレから出られなくなる。

同時に吐き気も止まらないが吐けるモノがないからか

嗚咽はするが何も吐けないような状況が続く。

 

そこの胃腸科医院では、治療ができないということで

大きな病院への紹介状をもらって

病院を移動することに。

 

 

大きな病院で検査をしてもらったところ

腸内に出血が見られ、即入院となりました。

結果、原因は腸管出血性大腸菌による食中毒ということでした。

 

菌の名前は覚えていませんが

O‐157の次にヤバいやつだと教えてもらい

もう少し治療が遅れてたら…と言われました。

 

 

私は食中毒だと発覚するまでに、いくつかのミスをしています。

この記事を読んでいただいた方には

もしも自分や周りの人が同じ状況になったときに参考にしていただきたいです。

 

3つのミスと教訓

1つ目のミス近所の小さな病院へ行ったこと』

やはり町の小さな病院では検査できることも限りがあって

適切な診断を下せないこともあるそうです。

これやべぇなって思ったときは、大きな病院へ行った方が良いですね。

このせいで、私は食中毒の発覚が遅れて死にかけました。

 

 

2つ目のミス『血便があるのに、ご飯を食べてしまった』

これは、お医者さんにも怒られました…

今回のように腸に出血がある場合

食事を取ってしまうと、その食事が腸の出血部分を更に傷つけてしまって

状態は悪化してしまうそうです。

実際、鮭のホイル焼きを食べた直後に激痛で意識が吹っ飛びました。

お腹が痛いときには食事は取らない方が良いそうです。

 

3つ目のミス『救急車や緊急外来を利用しなかった』

自分なんかが救急車を呼んでいいものか

緊急外来を利用して迷惑ではないかと考えてしまい

移動はタクシー、通常外来を利用しました。

 

その結果、診察まで待合室で1時間以上待たされることになり

どんどんと状態は悪化してしまいました。

これはお医者さんにも言われましたが

本当に必要なときには救急車や緊急外来は利用しないといけません。

 

 

食中毒の症状(私の場合)

微熱など風邪の症状が出る。

下痢が出始める

腸に出血が起こり、血便になる。吐き気も止まらなくなる。

激痛に耐えられなくなる

腸管出血性大腸菌による食中毒と発覚

ミスから学んだ3つの教訓
  1. ヤバいときは初めから大きな病院へ行く
  2. お腹が痛いときは、食事を控える
  3. 必要なときは救急車や緊急外来を利用する

 

読者のみなさまが一生、食中毒とは無縁であることを望みますが

万が一、同じような症状が現れた場合には適切な判断と行動をするためにも

今回の記事を参考にしていただければ幸いです。

 

 

 

ここからはおまけ

番外編『初めての入院生活』

絶食!

腸を傷つけないために、状態が落ち着くまでは絶食することになりました。

絶食した期間は約1週間。

え?人ってそんなに食べなくても生きていけるの!?って驚きましたが

食事を取らない代わりに点滴で栄養補給をしてもらっていたので

不思議と空腹を感じることはありませんでした。

 

だけどね

口は食べ物を欲しているのか

テレビで食べ物のCMが流れると

口の中に、唾液がすっごい溢れてくるのが分かりました。

特にマクドナルドのCMはヤバかったっすねw

退院後にすぐマクドナルドへ行ったのを覚えています。

 

病室でのチャンネル争いが必死

病室では4つくらいベッドがあって、それぞれがカーテンで仕切られているようになっています。

テレビもそれぞれに備え付けられていて

お互いのプライバシーはあるように思っていました。

しかし、ある問題が発生。

 

備え付けのテレビは普通、全て同じ機種ですよね。

そうなるとリモコンも全て同じ種類なんです。

だから

誰かがリモコン操作をすると

こっちのテレビが反応して電源が入ったり

チャンネルが変わったりっていう事態が起こった。

 

 

私はカープ中継を観たいのに

隣の人がバラエティが見たくてリモコンでチャンネルを変えようものなら

私のテレビも勝手に反応してバラエティへ…

私がカープ中継に変えれば、隣のテレビもカープへ…

と、こんな感じで

カーテンで仕切られた見えない相手とのチャンネル争いが繰り広げられていました。

 

 

当時のカープはブラウン監督のベース投げで盛り上がってた頃ですね。

懐かしい…

 

ポケモンを全クリ

ある程度、回復してくると

入院生活も暇で仕方なくなります。

そこで妹にポケモンを買ってきてもらって、ひたすらゲームをしていました。

あの頃、必死に育てたイシツブテ…元気かな。

 

 

毎朝の点滴交換は緊張の連続

絶食期間が長かったため、点滴は入院生活のお供でした。

毎朝、点滴針の交換をしてもらうのですが

私の血管は針を刺すのが難しいのか…

1発で針が刺さることは珍しく

看護師さんには

「本当にごめんね…」と言われながら

毎朝3回くらいは刺し直しをすることになりました。

 

看護師さん

針を刺される人が緊張していると

血管が細くなってしまって、余計に刺しにくくなるの!

だから、緊張しないでね♪

 

 

かず

はい…

(また失敗するかも…めっちゃ緊張…)

 

針、ブスっ

 

看護師さん

ごめんね、もう一回やるね

 

これの繰り返しでしたね

 

大腸ファイバーは地獄の拷問

症状も落ち着いてきて、退院も近くなってきたころ

腸の状態が完治しているかを確認するために

大腸ファイバーという検査を行いました。

 

簡単に説明すると

お尻からホース状になっているカメラを入れて

クネクネした腸の奥までカメラを送り込みます。

置くまでカメラが到達したら、ホース部分から空気が送り込まれ

浮き輪を膨らますようなイメージで、腸を広げていきます。

空気で広がった腸内を、ホース状のカメラを使って検査していくというもの。

 

 

これがマジで激痛!!

マラソンしていて横腹が痛くなるような感覚の2倍くらいの痛みが

検査の間、30分間ノンストップで続きます。

 

ほんとに拷問を受けているような感じでした。

 

これはね

私の人生の中でも

食中毒で意識を失ったときに次いで

第2位の辛さでした。

 

もう2度とやりたくないです。

 

 


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